2013年7月3日水曜日

大峯山とは・・・・女人結界門から西の覗まで(その4)

一体、大峯山とは・・・・・・・・どんな山なのでしょうか?

大峯山は今から約1300年前に修験道の開祖※「役行者」によって開かれた
山であり「女人禁制」の山として有名です。

登山口から大峯山本堂までの間には幾つかの行場があります。

本堂は、木造としては国内最高地にある最古の建造物と云われており
本堂以外に5つの宿坊が建てられています。

また、道中には3つの茶屋と陀羅尼助小屋があり、
「お助け水」と言う水飲み場もあります。

毎年5月3日の本堂※「戸開け式」(山開き)から9月23日の「戸閉め式」(閉山)の
5ヶ月間が修験道のシーズンとして大勢の修験者で賑わいます。

山頂へは、洞川大橋(女人結界門)から徒歩で約2時間30分くらいです。

地図では「山上ヶ岳」と記され標高1719Mあり、
これより南側の山奥一帯を大峯山脈と言います。
日本百名山にも数えられており、
修験者だけでなく一般登山者も多く来られています。

「役行者」の意味

修験道の祖。

634年(舒明天皇6年)に現在の奈良県御所市茅原にある
吉祥草寺の境内で生まれたと云われています。

幼少より葛城山で修行をされ、そして様々な苦行の末、金峰山にて
金剛蔵王権現を感得され、修験道の基礎を開かれました。

やがて何事にも屈しない強固な精神力と煩悩を克服し超人的な境地に達し、
宗教家としての名が天下に響くようになりました。

701年(大宝元年)6月7日に入寂されたと云われていますが、
異説も多くあり「箕面山から空高く昇天した」
「母を鉄鉢にのせて海を渡って入唐した」など伝わっています。

千百年忌にあたる1799年(完成11年)光格天皇より、
我が国古来の高僧の中で唯一人、
神変大菩薩の「し号」を贈わりました。

大峯山・吉野山をはじめ日本各地に多くの山を開かれました。

1300年経った今でも多くの信者・修験者が修行に来られます。


で、

この山に登った男性達の話の中によく出る名所で

一の瀬茶屋って?お亀石?西の覗き?山上ヶ岳ってどんな所?

裏行って?どんなことをするのかしら???と
体験できない女性達は、思うはずです笑)

今回参加した黒田さんが、撮った写真を見て様子が解るので

その写真を公開したいと思います”””””

で、その前に・。・。・。・。・同じこの山の写真で

大変、珍しい景色を発見したのです。

今年の※戸開け式で、ここ数十年見たことのない風景のようです。

歩いていて見える木々が、まるで白い花が咲いたように見え、

それは、見事な樹氷の景色だったという事でした。

凄く、珍しくて 神秘的な現象だっという事で

たまたま立ち寄った 洞川にある喫茶「とも」というお店で紹介されていました!



で、この※戸開式の意味を説明しますと。・。・。・。・。・。・

【開催日時】 毎年5月3日
【開催場所】 大峰山寺(奈良県吉野郡天川村)
■大峯山(山上ヶ岳)は宗教的な理由により今なお女人禁制を守る山です。

冬の間閉じられていた大峰山寺本堂がこの日、行者や講の方たちにより開かれます。

この日から9月23日の戸閉めまでの間多くの修験者で賑わいます。

修験道の秘式として永い伝統をもつ大峯山戸開式が午前2時の早朝から行われます。

戸開式には、大峯山の護持院や、信徒総代が参列し山伏装束や羽織袴の正装に身を正し、

多数の信者の見守る中 伝統の儀式が開始されます。

その年の当番の寺院住職が戸開式の開始を告げ、明けきらぬ朝寒の山内に大勢の読経の

が立ちこめるます。

一尺余りもある鍵の受け渡し式が始まり、その後、本堂脇の護摩道場で大護摩供が厳修され、

国家安寧・五穀豊穣・世界平和等の祈願が成されるころ、夜明けを迎えます。

また、戸開日・戸閉日の儀式の間は、特別に「秘仏 秘密行者尊」が御開帳されます。

それも めったに見れない風景。



木々は、白い花が咲いている様に見えたそうです”””
 



不思議なのは、地面には、何もない・・・・・・・
 



夜明けと共に始める戸開け式( 数千年も前からある行事・・
先人達のおかげで今も伝え継がれているこの儀式)
  

で・・・ここからは、登山口から山上にある西の覗という行場までをお届けします!

この日は、新緑の香る中、晴天で 気持ちの良い朝でした・・・・・・・・
(幸龍会 写真担当部長   黒田氏撮影・・・笑い笑い)

さぁ~今から標高1719Mまで修行の旅をします!!!!


この門をくぐります【清浄大橋】


門の右手の様子!



門をくぐりました。・。・。・。・。・。・・。



すぐ、左手にこの看板があります!



さぁ!そろそろこの『女人結界門』から男達の修行の出発です。




みんなでここで記念撮影をする前の光景!




女人結界門をくぐり。・。・。・。・。山の中に入りました!




総勢9名の男達は、1列になり、黙々と上がるそうです、自分(己)の修行のために!



ここで、今日は、時間切れとなりましたので(笑)。・。・。・。・。・。・この辺で(笑)
次回は、この続きを公開します!ので・。・。・。・。・。

で、先日のことですが、

3日前に兄貴と今枝君と2人で、月参りをしたいということで、
又この山に登った時の写真です。


入り口で、ここから 男達だけの世界が始まる!


この日は、もうすぐ、七夕なので、洞川は、こんな景色になっていました!!


洞川にある龍線寺の七夕風景!


では、続きは、次回にと・・・・・・・・・


福結び人  よしこ



4 件のコメント:

  1. 今から50年ほど前の高校生の時、同級生の実家が吉野にあり、夏休みに泊りがけで遊びに行き、同級生の家から歩いて大峯山に上りました。「西の覗き」も体験したがそりや怖かったです。

    それと山頂のお堂の前にものすごい重い鉄棒があり、それを持ち上げれるかどうか試しましたが、私は持ち上げることが出来ました。今ではもう絶対無理ですが。今でもその鉄棒はあると思うのですが、重さがどれくらいあるかわかったら教えてほしいです。たぶん今回行かれた方も試されたのではないでしょうか?

    大峯山の話が載っていたので懐かしく思いコメントさせてもらいました

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    1. 福結び人 よしこ2013年7月4日 6:56

      河内のfumiちゃんに
      おはようございます。
      いつも、お世話になりありがとうございます!
      質問に関しては、調べてみますので。・。・。・。・。
      又、是非、大峯山にご縁して下さいませ。
      コメント!ありがとうございました。

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  2. 河内のFumiちゃん2013年7月5日 15:21

    今日インターネットを見てたら鉄棒のことが載ってました。


    ● 役の行者の杖と笠と下駄 吉野郡、大峯本堂

    山上山の大峯本堂の向かって左の隅に、巨大な鉄棒と鉄下駄と釣鐘とがある。 鉄棒は五十貫近くもあるであろう。登山客達は、一生懸命にそれを挙げてみようとするが、百人に一人も挙げ得る者はない。
    下駄は、長さ三尺、幅二尺位、鼻緒だけでも我々は持兼ねる。釣鐘は厚さ五寸、直径五尺、高さ六尺とある。昔、役の行者が此山を開かれる時には、此釣鐘を笠に被り、此鉄棒を杖につき、此下駄をはいて登られた。そして途中には、『油こぼし』とてツルツルと磨けた岩の、ほぼ垂直になった所があるが、
    是は其時、行者が種油をふりかけて登られた跡で、今に苔も生えないのである。又山中には、鐘掛け、西ののぞき、東ののぞき、廻り岩、平等岩、蟻のとわたり等、一歩あやまれば命のなくなるべき行場があるが、是も役の行者が、件の装束で平気で巡られたのに始まるという。  それから、此釣鐘は、大和の国の確か北葛城郡の其寺の物を、夜の中に取って来たので今も彼の寺には釣鐘が無いと言われている。(吉野郡洞川、岩森亘)

    http://www.7kamado.net/den_yamato/yosino_den16.html

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    1. 福結び人 よしこ2013年7月8日 7:07

      河内のfumiちゃんさんに
      おはようございます!!!
      そして調べて下さり、ありがとうございました。
      是非是非、この大峯山とご縁を・。・。・。・。
      又、信貴山の奥の院に行ったメンバーで行きましょう!
      暑い日が続きますので、体調を崩さないようにと・。・・。・。・

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