2012年11月13日火曜日

みんなの知らない本物の男達 発見!(沖縄の台風17号の支援に行った物語)

今年起きた台風17号の
沖縄復旧支援活動に携わったある男達の物語・・・・
2012年9月29日に沖縄に上陸した台風から・・・始まった。


私達は生活する上でなくてはならないライフラインというものがある。

昨年の東北の震災で起きた福島県の原発事故で

電力という問題があらためてクローズアップされて以来・・・

私達の生活で当たり前にあるものとされる

このライフライン。。。電気・ガス・水道・通信などのあり方を

考えさせられる今日この頃だ。

身近で当たり前、感覚でいたこのライフラインと称されるものは、

今回のように自然災害にあうと

瞬く間に潰されるという事実を実感する私達だ。

それも一瞬にして破壊されることになる。

それを私達人間の手で又直し、造るという作業をしている人達の記録である。

この写真は、沖縄の台風で関西から数十名で支援活動に行き、帰阪前日の写真である。

この台風被害の全てを完了したわけではないが、次の支援グループに引継ぎまでの

仕事を終えた男達の写真である。

この話をこのブログで伝えたかった意味がある。

自然の災害が起きると、仕事とはいえ、家を離れて慣れないホテル住まいをしながら

地域住民のために必死で活動している事実と

この災害が過ぎると忘れがちになるのですが

自然災害の爪跡は、大きくていまだに普及活動をしているという事実を

知ってもらいために掲載した。

このブログでは、
ほんのわずかの人達にでも伝えられたらと思った。。。。。

又、

この自然災害と背中合わせに暮らしている私達人間は、

ライフラインの仕事をしている人達がいることで安心することもあるということも

このブログで伝えたかった・・・。

感謝です。

この写真(下)は、この時の支援活動部隊を率いる隊長こと大阪の兄貴(左手)が

沖縄の方への激励の安全旗を渡して握手した時。

この安全旗には、この時に応援に行ったメンバーの寄せ書きがある。

そこには、同じ会社で働く男達として絆と心からの応援と

災害に負けずに頑張ってほしという思いを残し

自分達は、帰阪するが、この想いは、いつもあるという応援の言葉だろう。

完了をしていない復旧活動の途中で帰る辛さを

隊長(大阪の兄貴)は、この寄せ書きに託したのだろう!

ここに仕事を超えた 男達のあつい友情と絆が生まれたと思う・・・・



この旗を見ると 男達の真心を感じる・・・・・

心の底からの願い感じる・・・・


この時の大阪の兄貴こと支援隊長はこう語る。

『 関西からの支援部隊で、今日まで安全に事故も無く無事に支援作業が
できたのは、大変ながらも沖縄の皆様の暖かい気遣いがあったからこそ・・・
被害の大きさに比べれば、支援期間中に復旧できた内容は小さいかも知れない。
しかし、全員が一致団結し「絆」のために精一杯 支援できたと自負しています。』


支援隊長は、阪神大震災・東北大震災の復旧支援にも 参加しているので

この災害対策としての経験はあるが、

自然には、勝てない!自然の恐ろしさ!

被災者の大変さと関わることでいつも感じると言う。


去年の東北大震災の時の写真が1枚出てきた・・・

この時、
兄貴(左手)の顔は、やせこけていて、支援の大変さがわかる・・・・

又、こんなことがあった。
現地に煙草も無くて大阪から送るにも、輸送経路が動いてないために
なにも送れなかったことを記憶している。

情けなかったが、自然と共存している人間の儚さもあるが、

又、自然に感謝して生きている私達がいるという事実を感じる。

こうして、ライフラインに携わる仕事の家族の人も色々な意味で

支援活動の支えとなり協力者である。

つまり、ライフラインの仕事を関わる家族も一緒に支援活動している・・・・感覚だ。


もう一度この写真を・・・・・・

忘れないで欲しい・・・・・・

働く男達の友情と絆と想いを・・・・・

そして、まだ復旧活動をしていることを・・・・・・

頑張れ!沖縄!!


この時、沖縄では、まだ復旧活動をしているが・・・・・

第1軍とされる男達は、大阪に帰った。

関西空港で 待つ上司や同僚の人達が大勢待っていた。

『 お疲れさぁーん!お疲れさん』の言葉が、飛びかう。

兄貴の姿を確認した。

無事にみんなと一緒に帰れたことが1番安心した。

今回、大阪の兄貴は、支援活動と参加したメンバーの安全を管理する役目があったからだ。

兄貴は、この時一瞬にしてその役目から開放された様子だ。

すぐに両親に無事を電話した私。


この時
今回の支援活動の最後の最後になる瞬間を支援隊長(兄貴)が、何か話していた・・・・

家族としても 関係者の皆様全ての方々に

『 本当にお疲れ様でした 』とお礼を言いたい。

そして、ありがとうございました。


又、自然と共有して生きている私達には、明日何が起きるかは、誰も分からない。

勿論、災害がおきないことを願い、祈りつつも

こうして、全国でおきた災害の時は、

災害支援軍団の人達に頼る私達がいる事実と

まだ、終わらぬ復旧活動を忘れずに・・・・ずっと応援する!

 で・・・・

支援期間の兄貴にも偶然はつきまとう・・・

今回の災害復旧には、全国から支援部隊が集結していた。

そこで兄貴にとって偶然の懐かしい再会があったと言う・・・・・

つまり。。。

いつもの偶然な出来事があったみたいだった。

2日目の朝、兄貴が泊まっているホテルのロビーで

『 どっかで聞いた声(関西弁)やなぁ~???まさか???』

『その声は・・・・』もしかしたら???と・・・

元勤務していた 佐賀県からの支援部隊のメンバーが、偶然にも

同じホテルに宿泊していたので

特徴のある関西弁の兄貴のことを見つけたのです!

『 やっぱり・・・来られていたのですね!課長!』

久しぶりの再会が、まさか支援先の沖縄でのホテルが一緒で

出会うとは・・・・・びっくり!

この時、全国からの支援部隊もかなりの人数だったというのに・・・。

再会の懐かしさに浸っている間もなく、各々挨拶だけを交わし、支援作業に

出かけたと言う。・。・。・。・この時はただ、夕飯を一緒に食べる事を約束して。。。


その時の写真です。




お互いに懐かしさに一瞬浸り、今回の支援に来た意気込みを語り、
話す事は尽きないけれども
明日からのお互いの健康と安全を誓いつつ この夜は、別れたのだという。


最後に兄貴からの一言

今回の関西からの支援メンバに本当に感謝しています。
皆が頑張り、気遣ってくれた『お陰』で無事に支援業務が完了する事ができました。
この団結力があったからこそ、リーダとしての任務を真っ当出来たと思っています。
ありがとうございました。

佐賀のメンバに出会えた事で、やる気と元気の『パワー』を頂きました。
これからも永遠の『ご縁』を繋げ、第二の故郷のメンバとして俺を助けて下さい。
ありがとうございました。


2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    すごい素晴らしい実践、中々できることではありません。
    ご主人の行動力に感服しました。
    最近アップ回数が増えてきましたネ!
    見習わなくては・・・
    感謝

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  2. こんにちわ!
    いつも 想いのあるコメントをありがとうございます。
    最近、ブログの公開が増え始めたのは、特に夏から今まで『例の偶然話』の連続と
    素敵方々のご縁やいい話・・・つまり、そんなご縁が増え始めたからなのです!

    今日も朝から出かけた時に吃驚するご縁が重なり、素敵な女性2人と出会いましたよ。
    もう・・・・ここまで続くとおかしくて???おかしくて・・・・

    大阪べっぴん会の美人女性が、又 増えそうです(笑)

    幸せになるため『 福運 』のご縁つなぎをしていきます!

    今、大分のかぼす美人さんから電話かかってきました・・・・ので・・・この辺で。

    では 又お仕事頑張って下さい。

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