2013年4月22日月曜日

興福寺の観音様から埼玉県の平野君に出会うまでの物語!発見!!


2011年9月10日・・・奈良県の興福寺(南円堂)の観世音菩薩様の出会いから始まり、

1年数ヶ月後の2013年2月23日・・・・好青年の埼玉県の平野君と出会う。

これが、まさに「 ご縁 」・・・・・・


先日、前会長 松原市倫理法人会の坂本氏からこう言われた・・・・
「本当にこのご縁を大事にされているご夫婦ですねぇ~」
話の中で妙にこの言葉が残った私。
確かに・・・・
この「ご縁」を大事にしているというかこのご縁が人も物も全てだという考え方で生きている。
ご縁が「ある点」となって始まり、線となり面になり球になる(浦川塾より)
※浦川塾とは。。。。。兄貴が後輩育成のための塾。

西国巡礼で考えてみるとこの点から始まった興福寺(南円堂)の観世音菩薩様から今では、
点から線となり始めている。

この前、ふと、この点から線を紙に書いて図案化にしてみると
ご縁の点が線になり、人のご縁がつながっている事が、よくわかる。
事実、奈良県から始まった点が和歌山県の点に繋がり、
埼玉県の平野君の点に繋がっている。

原点になる、この点がないと線にはならない。
だからこの1つ1つの点に感謝するようになる。
昔から私は、この原点の点を大事にしてきた。
絶対に忘れないし、1番大事にするのが この原点。
このたった1つの点がないと、最後になる球が存在しないからだ(浦川塾より)

西国巡礼の話にもどる・・・・・
時間があると、この西国の出かける私達の理由は、どんどん変わっていき、
3周目ぐらいからは、単なる学びのレベルではなく「意味」があると実感してきた。
それが、行くたびに「WARD」のように出てくる・・・
最近では、「こんな意味が、あったのねぇ~???」と二人の会話も変わってきた。
何度も行っている同じお寺なのに毎回色んなことがある。
だから、実に楽しんで、出かける。。。。私達。

集印とか、巡礼の回数ではなく、毎回新鮮な気持ちで、尚且つ色んなことが起きるからだ。
それも何度も同じお寺に行っているのにコトが、起きるから楽しいのかもしれない。
ちなみに行く季節が、違うためにお寺の風景が全く違ように目に映る。
全く違うお寺に毎回お参りしている感覚だ。
勿論、お寺の建物は同じでも周りの自然の木々の変化で全く違う景色になる。
その自然の変化たるもの、見事というか、又、同時に季節感もそこで体感する。


で、私達の西国の原点となる
この南円堂の観世音菩薩様とのご縁を皆さんに繋ぎます。
通常は、この観音様とは・・・・出会えません!今年だけ、6月2日までご開帳中。
http://www.kohfukuji.com/event/detail.cgi?event_seq=00000014
いつもこの下の写真にあるように戸が閉まっている。
この期間、何回お会いできるご縁があるのでしょうか・・・私???
こう思うのには・・・・ある偶然的なご縁話が2つある。

①  わすれもしない!今年の2月24日に南円堂に行った時に
私「そういえば、いつも戸が閉まっているから・・・この観音様とは、会えないのかなぁ~」
とふと思い、扉の前にかかっている白い布の茶色の鹿の絵を見ながら
「 ここは、奈良だから鹿の図柄かなぁ~ 」と心で思っていた。
こんな感じです



この日は、叔母の誕生日で絵葉書にメッセージを書こうとふと思い、売店に立ち寄ると
この観音様のポストカードが会ったので・・・・・
私「会えた!!!!!」と思わずはしゃぎ、さっきの私の会えない思いが、伝わったのかなぁ~と
思うぐらいの絶妙なるタイミングだった(笑)
いつも、立ち寄らない売店だったことも重なり、『ひやぁ~~』という感じ。
「この扉の奥にいらっしゃるのは、この観音様なんだぁ~」・・・・・
その私の喜んでいる姿を見た・・・若い女性の店員さんが、これを下さったのです。
多分、私の感動している姿が、可笑しかったのかも???(笑)
それが、このチラシだ。


通常は、7月7日しかご開帳しないけど、
今年は創建1200年ということで、4月12日~6月2日特別にご開帳している。

「やったぁ~::::***・・・・!!!!」

この観音様とご縁があった!会える!と思わず、目茶苦茶喜ぶ私。
なので、この期間に何回お会いできるかなぁ~と考え方になる(笑)
この時の兄貴は、「へぇ・・・・・」ではなく、
「それは・・・なんか凄いご縁やなぁ!」
俺も「絶対に、忘れんと行くでぇ!」という ノリだった。
なので、我が家では、お会いできるというご縁を願いながら
このチラシを忘れないために
我が家の目につくところにこの時の2月24日からずっと貼っていた!

まだ、偶然があり、この日に西国の中でも奈良県のお寺を選んだのは、
この誕生日の叔母は、奈良なので、帰りに寄れるようにと西国の中でも奈良のお寺を選んだ。
この偶然が、なければ、今回の特別開帳のことは、知らなかったことになる。
これが、ご縁だと感じる私達の考え方・・・・

で、この観音様に関しては、まだ、偶然的なことがあった。
これが、2つ目の偶然?しつぜん?・・・・・
もうこれは。。。。こんな話あるのかな???と思うぐらい。。。。
不思議でした!

② それは、3月16日(土)のことだった・・・・
大峰山修行でいつもお世話になる母公堂の青木さん夫婦が、この3月でお辞めになると
手紙があったので、兄貴は、どうしてもこの3月までにお礼の挨拶に行きたいと言い出し・・・
いつもの 「明日。。。行くぞ!」といきなりで(笑)
出かけたのですが、このように戸が閉まっていてこの時は、青木さんに会えなかった。

しかたなく、机の上にあった手紙に書きしるして帰ることにした。

3月でも、雪が残っていたので、こんな感じで写真を撮って、帰るしかない私達・・・(笑)

この時、私は、「これも・・・写しておこうかなぁ~」といつも見ている言葉がある。

この言葉は、好きだ。

又、
こんな言葉もある⇒「懺悔   懺悔   六根清浄~」
私は、山の修行に行くとこの言葉を言いながら歩く。
幾度なく、この言葉に助けられ、やっと山上に到達し、無事に下山する。
しんどくなった時にこの言葉を言いながら、歩くと不思議と力がもらえる。
「懺悔   懺悔   六根清浄~懺悔   懺悔   六根清浄~」

 
又、この言葉にも、随分と助けてもらっている。(笑)
兄貴の実家では、この紙が電話器の横にあり、どちらかが機嫌悪くなった時に
この紙を「これだぁ~」と見せると相手は、怒る顔から笑いの顔にかわるのでと・・・・(笑)
中々、良いアイデアだ。(笑)

と、こんな感じで青木さんとは、会えなかったけど・・・・
写真を撮ったりして母公堂を後にした。

帰り際に今年も5月に大峰山修行でお世話になる常宿(あたらしや)にちょっと寄ってみた。
そこで、あの・・・・興福寺の観音様と出会ったのです?????
この時ばかりは、兄貴と私は、もう。。。この偶然に吃驚で、興奮した!

まず、旅館に入ると
あたらしやさんの女将さんと番頭さんと会った。

女将さん 「どうしたん???この時期に?」と
青木さんに会いに来た話をすると・・・
この番頭さんが、「ちょっと、待ってみて~」と言って
青木さんに連絡を取ってくださった。

もしかしたら
’やったぁ・・・・青木さんに会えるかも・・・・と
「その間、ゆっくりして下さいね!」と女将さんが、珈琲をだしてくださり、椅子に座ると・・・・・
南円堂の観音様が、いてはる?????

「なんでぇ・・・・・・ここに???」
kldmっじぇぽじょ50じぇおという感じ(笑)

そうです!
家に貼ってあるA4サイズのチラシではなく、でっかいポスターがあったのです((笑))
この写真の右手に写っています!!!

この時、青木さんと連絡がついて病院に行っていたそうで、戻られる間にこの番頭さんから
「なぜ?」
このポスターがここにおいてあるのかを聞いてみた。

これが、そもそも不思議で・・・・
もし、
青木さんとさっきの母公堂で会っていたら、このあたらしやさんで珈琲など飲んでないので
このご開帳のポスターを見ることも まずないのだ。

色んな話をきいたのだが、
この番頭さんの話は、歴史学の大学教授が生徒に講演するような感じだった(笑)
その話しの中で、この興福寺とあたらしやさんが、凄いご縁があるそうだとか・・・
へぇ::::::::

で、
日常でもこの人のつながりは、
「どんなところで繋がっているのかわからない」ということがよくある。
昨日もこんなことがあった。
ある会場で
私の体操教室でペアーを組んでいる女性(未だ3ヶ月の付き合い)と
私の実父の仕事仲間の奥さんでその人は、私の小学校時代まで知っている人(40年前)です。
なんとその2人がいたので私は、吃驚!
昔からのお友達らしくて3人で顔を見合わせて
なんで???の会話だった(笑)

又、
外見や肩書きだけで人を判断することはなくて、ご縁あった人には、
同じ視線でお付きあいをさせてもらうこれが、私流。
又、ご縁の点を大事にすることで線となり、ご縁が永遠に繋がる(べっぴん会塾より)

・・・・・・・・
番頭との会話で最後にあんまり熱く語る(この観音様のことで)
私達に番頭さんが、
手元にあった自分の分の招待券を下さった。。。。
これは、「ラッキー」という感覚ではなく、この観音様からご縁をいただいたという感じで
この時に「会える・・・・お会いできる・・嬉しい・・・」とありがたく。。。。。ご縁を感じた。

こんな偶然なこともあり・・・・・
又、この西国巡礼の1番最初に行ったお寺でもある
この興福寺の南円堂の観音様の点から線になりつつ。。。
又、色んなご縁で面と球の形になる時があったとしたら、
最終の到達ではなく、
この世でやっと人生の修行のスタート地点なのかも知れないとイメージする私。
だから・・・まだまだ生きていく勇気と力が、わいてくる。
何事も時間は、かかります(べっぴん塾より)

この半世紀の年代になった私は、
経験も中の原点からプロセスも結果まで全て楽しめる考え方で日々過ごしていて、
何事も「笑い・・・・楽しい」と感じれるようになった。

ふと
この西国に行くきっかけ(原点)をたどってみると・・・・・

それは、こんなご縁がある。
まず、大峰山に行くための地下足袋をインターネットで調べると
その中で兄貴が、「このお店に行ってみる!」といつもの直感で行ったお店がある。

大阪の平野区にあり、
呉服・祭礼用品小売業で平野郷  匠屋「木田呉服店」だった。
http://www.takumiya-kidagofuku.co.jp/omoi/index.html#page-top

「祭りとは、感謝と喜びの一番素直な表現」という店主の木田さん。


そしてこの店主さんがオススメの地下足袋は、すべりにくいし、足が疲れにくいのが特徴で
かなり。。。。良い。。。GOOD!

このお店のホームページより
『エアージョグに新しいバージョンが誕生しました。「エアージョグⅢ」どこが新しいか?
底に注目!防滑性能が大幅に向上とか!6枚こはぜと12枚こはぜがあります。
色は、白と黒
入荷するなり、お客様が大峰山に登るのでとご購入いただきました。履き心地がどうだったか
早く聞きたいです。お祭りはもちろん、沢登りや、山登りにいいと思います』

このお客様とは。。。。兄貴のことかも????(笑)・・・



でこの地下足袋のこのお店から、どうして西国巡礼に繋がるかというと・・・・
そのお店の横に 真言宗の全興寺というお寺http://www.senkouji.net/がある。
その中にある一願不動様の前に西国 三十三ヶ所石仏があり
『観音さまは、迷いや悩んでいる人々を救うために、三十三に変化するといわれ、そこから三十三カ所観音霊場ができました。なかなかそのすべてを巡ることができない人のために各霊場の観音さまの石仏をお祀りしてある』

その時に、両親も行っているこの西国の巡礼に何時か・・・ご縁あったら行きたいと言っていたのが、今回のきっかけになる。
それが。。。。まさか人生の生き方まで変わることになるとは、全く予期せぬことだったので、当人の私達が、いちばん驚いている(笑)


そして、西国三十三所の先達委員会より、中先達として公認をもらい、
満願は、倫理で言う『実践』でこの喜びは、
おのずと感謝とありがたさとお蔭様でと気持ちになる。
これを繰り返していくと人生のおいて生きがいとなり、日常でも変化が起きてくる。
今では、人のご縁ができ『このお寺に行くと、この方に会えるから。。会いたいから』という
目的もあり巡礼をさせてもらっている。

ここでその会いたい!という3人の方々を紹介する。

33番札所の西国三十三番満願霊場 谷汲山 華厳寺http://kegonji.or.jp/
のお店通りにある水谷美術店のオーナーの水谷社長http://www.shokokai.or.jp/21/2140212060/index.htm

私の尊敬する 故 叔父さんにそっくりで初めは、まず吃驚!
そして、色んなご縁があった。。。。。


30番札所   竹生島 宝厳寺(日本三大弁天様)http://www.chikubushima.jp/
お土産屋さん(山本商店)の奥さん・・・・
たった2回しか会ってないのに 親戚みたいな感覚(笑)
旦那さんも目茶苦茶 良い人・・・。


28番札所  成相山  成相寺の納経所にいらっしゃる和田さん・・・
この和田さんとの ご縁で先達になり、何回も巡礼する大きなきっかけになった方です。
他にも。。。偶然というか・・・・凄いご縁があった和田さん。
又、詳しく掲載します(笑)

そして最後に
・・・このお寺とかお店の方ではなく・・・・・観光にきた埼玉県の好青年の平野君に出会う。
この平野君とは、きっと又どこかで会うだろうという青年だった(なぜかしら)
私達は、平野君の連絡先も知らないというか聞くことをしなかったが。。。。
なんとなく 又出会うと感じたていたので・・・
別れ際にこのブログの趣旨と意味を伝えてブログ掲載の許可(笑)を得て
このブログのアドレスを伝えただけだった。

この日は、今年の2月23日にいつものように6時に出発した。
この時は、「ご縁あるように祈って出かけた」実は、1月末に青岸渡寺に出かけたのだが、
後少しでたどりつくところで、雪のために断念したことがあった。
片道3時間はかかる場所なので・・・・「せっかく、ここまできたのに」と思う気持ちになる。
いわゆる。。。足止め。
これも、今思うと平野君と出会うためだったのもしれない・・・(笑)

お参りした後に那智の滝にいくと、去年の大雨の足跡は、ひどくて修復工事をしていた。


この日も那智の滝の「気」をいただいていた私(笑)
最近・・・・巡礼ヘアーは、これにしている私(笑)

この日、私は、ずっと上記の写真のポーズをしていたので
兄貴は、しかたなく自分でカメラを撮り始めた(笑)
この時、那智の滝の「気」を独占していた感じの私(笑)
右に私がいます(笑)

こんなことをしている私達に「あの~」・・・と声をかけてきたのが、埼玉県から来た平野君だ。
「写真を撮っていただけませんか?」
その言葉で私の那智の滝の独占タイムはここで終了となり(笑笑)

平野君の写真を撮ると、滝の前で色んな話をしだした2人。
この時は、佐賀県の特産から名物まで佐賀県の観光大使になり、説明をしていた。
好青年の平野君は、埼玉県から車で屋久島まで1人で旅をしていると言う。
なので、是非、佐賀に言って呼子のいかを食べたら良いと勧めていた兄貴。

平野君に こう話した。
『若い時にそんな体験が出来ることは、財産だと』50代の私達は言った。


兄貴は、若き頃、必死で貯めたお金で男3人日本全国回ったことがあり、
 若き頃の自分と平野君が重なっていたのだろうか?

旅行も時間とお金と健康と家族の健康の条件が揃わないと行けない。
この若き好青年の平野君は、それを私達がいうまでもなく、実感しているようだった。
又、この「ご縁」という言葉を口にしていた平野君。。。。



こうして・・・・男2人の話は、まだ続いている。


ふと、平野君のリュックをみると・・・・『22』
私がご縁のある数字  22でした(笑)
平野君は、なんの意味かわからなくて・・・・
『なんだろう・・・』という顔でした(笑)

この写真から・・・・この那智の滝付近の森林の『気』わかりますか?
この空気が、1番のご馳走。
この空気を吸いために又、行きたくなる私。
全身の細胞に呼びかけ、起こして触れる・・・そんな感触だ。

行きは、兄貴1人だったが、帰りは2人の背中になっている。



たまたまの光線が、平野君に勇気とパワーを翳している様だ。
このピンクカラーは、運の良さもあるという感じがした。



ご縁のあった男達は、こうして那智の滝の飛瀧神社を後にした。

兄貴と福結び人  よしこより
’’’又、会いたい””””””

そして、このご縁にありがとう!平野君!

最後に、この掲載日が、偶然にも22日だった・・・・・
きっと 平野君とのご縁数字が22かも・・・(笑)

平野君からのメッセージ(3/20にこのブログにコメントがあった)

お久しぶりです。先月那智の滝でお話しさせて頂いた平野です。覚えていらっしゃいますか?? あの後、無事に屋久島まで到着し縄文杉を見ることができました!その後、山陰をまわって先週無事に実家に帰りました。ただ、日程の都合で呼子のいかを食べれなかったのが大変残念でしたが…。 お二人とお会いできたことはこの度の大切な思い出であり大切にしたいご縁だと思っております!また近くに寄ることがありましたら連絡させていただきますのでその時はよろしくお願い致します。 これからもちょくちょくブログを拝見させていただきますね。

※ 次回は、佐賀侍達・・・家族を愛し、家族にために頑張るパパ達!発見!
       倉持さん・倉満さん・梅山さん編を掲載します・・・・・(只今、制作中:笑)

      それに続き、丁度1ヶ月前にあった『 段取り8分  仕事2分 』という漫才夫婦の講話事件を
        掲載します・・・・・良い思い出になりました!           福結び人   よしこ
       

2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    せっかくブログに載せて頂いていたのにコメント出来なくてすいませんでした(>_<)

    それにしてもまさか好青年なんて紹介していただけるなんて…嬉しいです(^o^)/
    確かに特に連絡先なども交換しませんでしたが、私もいつかまた会えるのだろうなと勝手に思っていましたよ!笑

    今は新しい環境に慣れるのにいっぱいいっぱいですが、落ち着いたら必ず大阪まで遊びにいきますのでその時はまた色々とお話を聞かせていただけたら嬉しいです。
    こちらこそ本当にありがとうございました!!

    返信削除
  2. 好青年の平野君に
    おはようございます!
    コメントを下さり、ありがとうございます。
    お元気そうですね。このコメントから、平野君の声も聞こえました(笑)
    是非是非、大阪に遊びに来て下さいね。
    会いたいです(兄貴も私も)
    新しい環境で忙しいと思いますが、又時間がある時にこのブログを見てもらったら
    あの時、話しした佐賀のことや佐賀の人たち(同世代)のことを知る情報ツールとして活用して
    もらえるようにという想いで作成しています。
    他には、仕事にも何かの参考になるようにという内容を掲載し始めました。
    つたない体験・経験ですが、少しでもお役にたてればと・・・・
    ・・・・今日も『 カッコいい 仕事をして下さいね 』
    塾長と福結び人 よしこより

    返信削除